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広島高等裁判所 昭和47年(行コ)7号 判決 1974年12月06日

控訴人 丸町法雄

被控訴人 広島県公安委員会 ほか一名

訴訟代理人 大道友彦 ほか四名

主文

控訴人の被控訴人広島県公安委員会に対する控訴を棄却する。

原判決中、被控訴人広島県警察本部長に関する部分を取消す。

被控訴人広島県警察本部長が昭和四五年四月一四日控訴人に対してした六〇日間(実停止三〇日間)の運転免許停止処分を取消す。

訴訟費用は、第一、二審を通じ、被控訴人広島県公安委員会に生じた分全部と控訴人に生じた分の五分の一を控訴人の負担とし、その余を被控訴人広島県警察本部長の負担とする。

事実

一  申立

(一)  控訴人は、「原判決を取消す。被控訴人広島県公安委員会が昭和四五年六月一一日控訴人に対してした広公委(運管)第九一二号審査請求棄却裁決を取消す。」、主文第三項同旨、「訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする」との判決を求めた。

(二)  被控訴人らは、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする」との判決を求めた。

二  主張と証拠関係

当事者双方の主張と証拠関係は、次のとおり付加するほか、原判決の事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(一)  控訴人の主張

1  本件転倒事故は、吊り輪の瑕疵のみを原因として発生したものである。すなわち、

バスの立客中、吊り輪を持つ者は、バスの動揺等によつて転倒しないため、自ら身体のバランス保持をせず、吊り輪に全体重をかけている。そのうえ、現在の交通状況下に当然予想される急激なハンドル・ブレーキ操作に際しては、吊り輪にこれを把持する立客の体重以上の力が加わることは当然予想される。吊り輪は、これらを考慮して、通常の性能としては、通常人の全体重の三倍の力に耐えるよう計算され設置されている。

本件事故に際し、控訴人がした程度のハンドル操作、これによるバスの動揺は、現在の交通状況下では、ことに、カーブの多い本件路線においては、多々あることである。

吊り輪の切断によつて生じた本件転倒事故は、吊り輪に瑕疵がなければ起らなかつたし、逆に、吊り輪に瑕疵が存する以上、本件事故時に事故が発生していないとしても、停留所発着の際や道路の力ーブによるブレーキ・ハンドル操作によつても、同様の事故が発生することは確実である。

2  控訴人が主文第三項掲記の処分(以下本件処分という)を受けたことにより、現在なお蒙つている不利益には、次のようなものもある。

(1) 控訴人は、中国バス株式会社のバス運転手であるが、本件処分により三〇日の免許停止期間中、バス車掌(バス会社の機構の中にあつては、格下げである。)として勤務した。

本件処分及びこれにより必然的にもたらされた右事態により、職業運転者としての控訴人に対する同僚の評価が下がるばかりか、会社の勤務評価面でマイナスがつきまとい、路線配置や昇給・昇任・賞与等にも影響がある。

(2) 控訴人が将来個人タクシーあるいはトラツク事業の免許を取得しようとしても、現在の免許付与行政のもとでは、申請者に処分歴が存在すれば、大きくマイナスの影響を受ける。

(3) 被控訴人らは、自動車運転者に対して無事故・無違反表彰を行つており、行政処分等の際、被表彰者に一定の考慮を払つている。

控訴人は、本件処分が取消されない限り、処分歴ありとして、右表彰を受けることができない。

(二)  被控訴人らの主張

1  控訴人は、本件処分の取消を求める訴の利益がない。

(1) 行政事件訴訟法九条は、取消訴訟におけるいわゆる原告適格のほか、取消訴訟がその処分等の失効後においても、なお処分等の取消によらなければ回復できない法律上の利益を有する限り、訴の利益があることを規定している。これは、違法な行政処分等により権利、利益が侵害されている場合に、その処分等の効果が期間の経過その他の理由により消滅すると、これにより被つていた法律上の不利益は通常解消されるが、なおその処分等の取消を求めなければ回復できないような権利等法律上の不利益が残存することがある。そこで、このように処分の失効後においても、処分の取消によらなければ回復しえない法律上の利益を有する者に限つて訴の利益を認めることとしたのが、右規定の趣旨と解される。したがつて、処分の失効後においても、訴の利益が認められるためには、取消判決により処分等の違法であることが確定し、この判決の遡及的効力により回復しうる法的権利ないし利益が残存する場合でなければならない。事実上の利益たる反射的利益、予防的利益、名誉・信用などの人格的利益は法的権利、利益といえないから、これらの利益が存在することは法律上の利益がある場合に当らない。また、行政庁の違法な行政処分を理由とする国家賠償を請求する権利は、その原因たる処分につき取消判決を得たうえで行使しなければならないものでもなく、また国家賠償請求訴訟は取消訴訟より直裁的かつ有効な救済手段であるから、この権利の存在は回復すべき法律上の利益があるとはいえない。

(2) 道転免許停止処分を受けた者は、処分を受けた日から一年を経過することにより、法令上不利益に取扱われることはなくなるから(道路交通法一〇三条、同法施行令三八条)、その後においては判決によつて右処分が取消されても、法律上回復されるべき利益は残存しないこととなる。控訴人はこの場合においても、なお法律上の利益があると主張し、その理由として運転免許証に停止処分が記載されることによる不利益等を掲げられるので、被控訴人はこれらの理由はいずれも失当であることについて、次のとおり主張する。

(イ) 運転免許証に停止処分に係る事項が記載されることによる不利益について

運転免許証の停止処分に係る記載は、被処分者の名誉、信用等を毀損し、あるいは就職等に影響をおよぼすことがあることは否定しえないとしても、これは停止処分がもたらす事実上の効果にすぎず、その違法な権利侵害に対しては、国家賠償を請求することによつて救済を受けることが可能であり、したがつて予め停止処分の取消を求めておく必要もない。しかも、免許証の有効期間は免許証の交付または更新された日から起算して三年とされ(昭和四七年法律五一号による改正前の同法九二条三項)、更新はこれを受けようとする者が現に有する免許証と引替えに新たな免許証を交付して行なうこととされている(同法一〇一条、同法施行規則二九条三項)。控訴人は、昭和四二年一〇月二四日免許証の更新を受け、同四五年四月一四日なされた本件処分はこの免許証に記載されたものであるが、その後同年一〇月頃と同四八年九月二〇日の二回に亘つて免許の更新を受け、現在控訴人が所持している免許証には本件処分に係る事項は何等記載されていないのである。したがつて、控訴人の免許証に停止処分が記載されていることによる不利益の主張は、その前提を欠くから全く理由がないといわなければならない。

(ロ) 個人タクシーまたはトラツク事業の免許取得に際して受ける不利益について

一般自動車運送事業の免許については、道路運送法六条の二に規定する欠格事由のほか法律上の制約はなく、右規定は道路交通法による行政処分の被処分者を欠格事由として掲げていないから、被処分者は右免許取得について法律上不利益な取扱いを受けることはない。もつとも、個人タクシーの免許については、運輸省の示した要綱にもとづき、各陸運局長が基準を定め、その資格要件の一つに過去三年間道路交通法に違反する行為であつて、運転免許の取消処分以外の処分(同法一二五条に規定する反則行為による反則金の納付を含む。)を受けた者でないことを定めている。しかし、これを行政庁の自由裁量の範囲内に属する免許について、事務処理上の基準を明確にした内部的なものであつて、この資格要件を備えておれば直ちに免許を得ることができるものではないから、これにより被処分者が不利益を受けるおそれがあるとしても、停止処分にもとずく事実上の効果にすぎないというべきである。しかも、控訴人は処分を受けたときから三年を経過しているので、このことは全く問題にならない。

(ハ) 表彰が行政処分に及ぼす影響について

運転免許の行政処分をするに当り処分を軽減する場合等について、警察庁交通局運転免許課長から各道府県警察本部長等にあてた、昭和四六年三月二三日付警察庁丁運発第三六号通達は、その基準を定めている。右通達は処分の軽減事由の一つに、無事故運転または犯人逮捕もしくは人命救助等で表彰を受けているなど情状酌量すべき事情があり、かつその人格的態度において明らかに改善の可能性が期待できる場合を掲げている。他方、優良運転手の表彰は各都道府県または市町村等の交通安全協会が行なつており、各協会によつて表彰の基準を異にしているが、一定の期間以上交通事故を起したことがなく、かつ他の模範となる人格であることを最小限の要件としていることにおいては一致している。このように行政処分または表彰を受けるにあたつて、無事故のほかに人格的な他の要素も斟酌することとしていることを考慮すれば、このような利益は事実上の利益にすぎず、法律上の利益といえないことは明らかである。しかも、控訴人は本件事故を起こす約一年前である昭和四三年一一月二八日、歩行者に治療三ケ月を要する交通事故を惹起し、刑事および行政処分を受けているので、このときから優良運転手として表彰される資格を失つている。したがつて、控訴人の行政処分において表彰が考慮されるので、訴の利益があるとの主張は失当である。

(ニ) 控訴人が勤務先から受ける昇給、賞与、昇任などの不利益について

控訴人は、本件処分により、勤務先である中国バス株式会社から昇給、昇任、賞与等において影響を受けている旨主張するが、このような事実は全くないので理由はない。そして、仮に右会社からこのような不利益を受けたとしても、損害賠償を請求することにより目的は達成されるものであるから、処分の取消を求める利益はない。

2  破損した吊り輪には、小さな穴が存在した瑕疵があるけれども、同種の吊り輪について過去に破損した事例はなく、当時控訴人が運転していたバスは、昭和三八年四月に購入され、以後吊り輪を取替えたことがなく、右吊り輪は事故当時まで約六年半の長期にわたり使用され、通常の運転に十分耐えてその効用を果たしていた。この事実からすると、右吊り輪の瑕疵は、本件事故について大きな原因とはいえない。

(三)  証拠関係<省略>

理由

一  控訴人の被控訴人広島県公安委員会に対する請求は失当である。その理由は、原判決理由第一に説くとおりであるから、これを引用する。

二  控訴人の被控訴人広島県警察本部長に対する請求について

(一)  請求原因一、二の事実は、当事者間に争いがない。

(二)  訴の利益について

本件処分が道路交通法一〇三条二項二号に基く運転免許の効力を停止する処分であることは、右争いのない事実から明らかである。

本件処分のように、道路交通法一〇三条二項二号所定の違反行為(以下単に違反行為という。)を理由とする運転免許の効力停止処分は、被処分者に対して、停止期間中当該免許の効力を停止して自動車等の運転を禁ずる効力を有するに止まらず、右期間経過後も後記のような具体的効果をもつ、被処分者の名誉・信用等を毀損する制裁的な処分であるというべきである。これに関連する制度や行政上の取扱等に触れると、

1  運転免許を保有する者の違反行為の多くは、反則行為とされ、これに対し刑罰を科さないで、反則金の納付によりこれに代えるのを原則としているが、過去一年以内に違反行為を理由として運転免許の停止処分を受けている場合は、反則行為のうちその殆どにつき、反則行為に関する特例処理手続による途を閉ざしている(道路交通法一二五条)。

2  公安委員会は、運転免許を保有する者が、違反行為をした場合、政令の定める基準により運転免許の取消・停止をすることができる旨定められている(道路交通法一〇三条)。ところで、右基準には、違反行為の種別等と並んで、過去三年間の違反行為の前歴の有無・回数が処分内容決定の要素とされ、過去一年間に停止処分歴のない者は一定の場合、違反行為の前歴が考慮外となるよう定められている(同法施行令三三条の二、別表第二備考)。

3  免許証は、自動車等を運転するときはこれを携帯し、かつ道路交通法所定の場合には警察官の求めによりこれを提示すべきものである(同法九五条)が、これには、免許の効力停止に関する一定事項を記載すべき旨(同法九三条二項、一〇三条八項)、また免許停止処分については、都道府県公安委員会から国家公安委員会に報告すべき旨(同法一〇六条)それぞれ定められている。

4  行政庁は、道路運送法所定の事業免許の申請につき許否を決する場合、過去の運転免許停止処分の前歴の有無・内容を、申請者の法令遵守状況の判断資料として、重視することが多いことは、公知の事実である。一例を挙げると、広島陸運局長告示昭和四六年三月一五日第二五号(成立に争いのない乙第一〇号証)には、控訴人の住所地を含む同陸運局管内の一般乗用車運送事業(一人一車制、いわゆる個人タクシー)の新規免許につき、過去三年間に免許停止処分を受けた者を欠格としている。

5  警察庁交通局運転免許課長通達「運転免許の効力の停止等の処分の軽減および処分量定の特例に関する基準について」(昭和三六年三月二三日付警察庁丁運発第三六号、成立に争いのない乙第一一号証)には、交通安全協会等から長期間の無事故運転を理由として表彰を受けた事実は、運転免許の停止等の処分量定に際し、軽減の一事由とされているところ、財団法人広島県交通安全協会の表彰規程(成立に争いのない乙第一二号証)では、一〇年あるいは一五年以上、職業運転者として勤務し、その間交通事故を起こしたことにより免許停止等の処分を受けたことがないこと等を表彰の要件とし、<証拠省略>によると、控訴人の住所を管轄する府中交通安全協会も類似の表彰制度を設けていることが認められる。

6  私人間にあつても、自動車等の運転を業とする者については、その雇傭等に関し、その現に有する運転免許の種別や免許歴のほか、免許停止等の処分歴も通常重視されることは、公知の事実である。

7  警察その他の行政庁、私人を通じ、現に免許証に記載され、あるいは、その他記録上確認し得る免許停止の前歴があれば、直ちに、その原因となつた違反行為があつたものとみなす扱いであることも、また公知の事実である。

以上のような法制度ないし行政上あるいは私人間の取扱は、違反行為を理由とする運転免許停止処分が当該被処分者に対し、その違反行為の存在を確認・宣言する制裁的処分としての性格を有し、これによつて被処分者の名誉・信用等に対する社会的評価が低下しせめること並びにそのことは、右処分の事実が存する以上、やむを得ぬこととして一般的に是認せられていることにもとづくものであるということができる。

もとより、本件処分のような違反行為を理由とする免許停止処分の具有する制裁的処分としての効果は、期間の経過によつて薄れてゆくことは否定できないし、前述の具体的不利益のうちには、一年ないし三年の期間の経過により消滅するものもないわけではないが、制裁的処分としての効果・影響がこのような短期間ですべて消滅し去るものではない。殊に、控訴入のように自動車運転を業とする者(この点は争いがない。)にあつては、右効果・影響は極めて広汎かつ長期にわたることが予測されるのであつて、これを排除するため違法な運転免許の停止処分の取消を求める利益は、控訴人にとつて看過できない客観的価値をもつ法的利益というべきである。

以上述べたところにより、当裁判所は、運転免許停止処分については、その制裁的処分としての人格権的利益侵害の効果が現存する限り、取消を求める訴の利益を認めるべきであり、控訴人についてもこれを肯定すべきものと解する。右のように解することは、理論上支障がないと考えられるし、実際上極めて有用である。

もしも、反対の見解を採り、免許停止期間の経過により直ちに訴の利益が失われるとするならば、訴訟審理期間の実情からみて、違法な免許停止処分を受けた者は、いかに出訴期間を遵守しても、取消訴訟によつて救済される可能性は絶無といつても過言ではないし、仮にさきに述べたところにより処分後一年ないし三年間訴の利益を認めるとしても、なお多くの場合取消訴訟による救済は困難といわねばならない。

もとより、損害賠償請求による救済の道は別途存する。しかし、人格権的利益の侵害について金銭賠償のみにより十分な満足をうるのが困難であることは、その損害の具体的様相が極めて多岐多様である(運転免許停止処分についてききに述べたところによつてもこの点は明らかである)ことに由来する不可避の事象ともいうべきであつて、民法七二三条、不正競争防止法一条の二の三項が金銭賠償に代りないしはこれを補うものとして、名誉または信用を回復するに適当な措置を求めうるとした趣意もまた、右の点にあると理解されるのである。そして、制度的制約を考慮の外におけば、名誉侵害的な行政処分に対する私法上の救済においても右代替ないし補充措置として最も直さい簡明で有効適切なものが右行政処分自体の取消にあることは明瞭であり、それが制度的に不能である以上、公法上の救済として取消訴訟の窓口をなるべく広く開いておくことは、実際面の配慮として当然留意されるべきことといえよう。

(三)  本案について

控訴人に本件処分の理由として掲げられた過失があつたとの証拠がなく、また、乗客の受傷については控訴人に責任がないものと断ずべきである。以下その理由を述べる。

控訴人がその主張の時刻頃本件バスを運転し、停留所手前にある控訴人主張の三差路左方の竹を積んだ三論自動車を避けるため、ハンドルを右に、次いで左に切つたこと、その際吊り輪を持ち立つていた乗客豊原キミ子が右吊り輪の破損切断により車内に転倒し受傷したことは、当事者間に争いがない。

<証拠省略>によると、本件事故現場の本件バスが進行していた道路は、歩車道の区別のない幅員約一一メートルの平坦な概ね直線の見とおしのよいアスフアルト舗装の県道であること、控訴人は、前記日時刻右バスを運転し、右道路の中央線から左側部分(自車線)の中央辺りを時速約四〇キロメートルで東進申、信号機のない前掲三差路の左方道路から前掲三輪自動車が積載した青竹の先端を右交差点内に約二・六五メートル突出した状態で停つているのを、約三〇メートル手前で発見したこと、右地点は、次の停留所の約七〇メートル手前であつて、バス車掌は次の停留所の案内を終えていたこと、控訴人は、右三輪自動車が前進する気配を認めなかつたので、もし、同車が前進をはじめた場合には、自車を急停車きせるつもりで、右三輪自動車の前方を通過すべく、前記速度のまま約一〇メートル進行し、同車がなお停止しているので、自車の進度を格別減ずることもなく、ハンドルを右に切つて、センターラインを約一・三メートル越えて右三輪自動車の前方を通過した後、すぐハンドルを左に切り返したところ、乗客が倒れたような大きな音を後方に聞き、右交差点東端から約三五メートルの道路左脇に停車したこと、おりしも、前掲乗客豊原は、次の停留所で下車すべく、立ち上がり吊り輪を持つていたところ、前記ハンドル操作により本件バスが左右に揺れたため、右吊り輪にほぼ全体重をかけたところ、右吊り輪が破損切断し、その結果、同女が同車内に転倒し負傷したことが認められる。

右事実によると、乗客豊原キミ子の転倒時の状況に鑑み、控訴人のハンドル操作によつて、本件バスの車体が左右に揺れることがなければ、同女が持つていた吊り輪に強い張力が作用せず、右吊り輪が切損することがなかつたと推認することができる。しかし、右吊り輪切損の事実から直ちに、控訴人の前記ハンドル操作が極端に急激なものであつて、本件バスに異常に大きな横揺れが生じたものと推認したり、控訴人の前記ハンドル操作・これによる本件バスの横揺れと吊り輪の切損・同女の受傷との間に相当因果関係があるということはできない。すなわち、<証拠省略>によると、切損した吊り輪はプラスチツク製であつて、従前からバスに多く使用される型式のものであり、本件事故車両に設置されて既に六年以上経過していること、控訴人の勤務する中国バス株式会社においてかつてバスの動揺に基く吊り輪の切損の事例はなく、ことにその極限ともいうべき衝突、転落等の事故の場合にあつても、吊り輪の切損の事例をみないことが認められ、さらに、プラスチツク製品が、物性上常温では脆い物体であつて、表面亀裂等の損傷のない限り極めて大きな張力に耐え得る一方、一定の損傷の存する場合、その部位から容易に切断されるに至るものであること、このような脆さは、寒冷状態の経過や長期の曝気によりさらに高程度のものとなることをも考えると、右吊り輪に切損の原因となるような何らかの瑕疵の存したことを推認させるものであるということはできても、このような瑕疵の不存在が立証されない限り、右切損の事実をもつて、事故の際に右吊り輪に過大な力が作用したものと推認すべき限りでなく、バスの動揺の結果として右吊り輪に加わつた張力は、その切損の誘因と考えられるにしても、その域を超えて因果関係を肯認することはできない。そして、<証拠省略>によれば、右吊り輪には巣(二ミリメートル×〇・三ミリメートルの小孔)があつたことが認められるのであるが、右の点を含めて右吊り輪に切損の原因となるような瑕疵が存しなかつたことは立証せられていない。

ところで、控訴人はバスの運転者として乗客に危害を及ぼさないよう、ことに、停留所に接近し乗客が下車準備のため立上がることが十分予想される場合には立客の転倒等の事態が発生しないようにハンドル等の操作をすべき注意義務があるというべきところ、控訴人の前掲ハンドル操作が乗客に危害を及ぼす虞がある程度に急激なものといえるかについて考察すると、前記認定の本件バスの速度・進路関係の事実からは、そのように判断することはできないし、前掲証拠によると当時の本件バス同乗者中には、控訴人の急激なハンドル操作により、本件バスが大きく左右に揺れたとする者があるが、右の者も、その動揺等の程度につきさらに具体的に表現せず、これらの者がかように感じたというだけでは、控訴人の前記ハンドル操作が右に述べる程度に急激なものであつたとみることはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

したがつて、控訴人の本件事故の際のハンドル操作が乗客に危険を及ぼす虞がある程度に急激なものであつたということはできないし、また、乗客豊原キミ子の転倒受傷につき、控訴人の運転操作に基因するものとして控訴人にその責任を帰することはできない(バス運転者に、吊り輪の瑕疵につき点検する等の義務があるといえないことは、原審及び当審証人富岡実夫の証言、自動車点検基準(昭和二六年運輸省令第七〇号)に照らし、明らかである。)。

よつて、控訴人に本件事故発生につき過失があり、本件乗客の受傷につき責任があることを前提とする被控訴人広島県警察本部長のした本件処分は違法として取消されるべきであり、その取消を求める控訴人の右被控訴人に対する請求は理由がある。

三  よつて、原判決中被控訴人広島県公安委員会に対する請求を棄却した部分は正当であつて、これに対する控訴は失当として棄却すべく、被控訴人広島県警察本部長に対する請求にかかる部分はこれを取消して控訴人の同被控訴人に対する請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、九二条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 胡田勲 西内英二 高山晨)

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